白山砂防100年の変歴「まずは山から治めよ」
白山砂防は、白山を保全するだけではなく、山麓や手取川下流域に暮らす人々の生命と財産を守っています。
水害 |
1)昭和9年(1934年)の手取川大洪水 |
古くから手取川流域住民は、出水や洪水に悩まされていました。明治の後半になり、手取川上流の甚之助谷や柳谷の荒廃対策として砂防工事に着手しました。これが白山砂防の始まりです。
しかし、自然の営みである災害を完全に防ぐことはできず、昭和9年の7月11日、ついに手取川流域史上最大の大洪水を引き起こすことになりました。これが、手取川大洪水です。大洪水は手取川流域全域で多くの集落を飲み込んで、死者112名を出すという甚大な被害を出しました。最も被害を受けたのは一ノ瀬集落で、死者42名を出しました。家族全員が死滅し家系が絶えた家もありました。現在もその水害の恐ろしさを白峰と市ノ瀬の間にある、高さ13m、重さ4839t(1305貫)の百万貫の岩が物語っています。土石流により、3kmも上流から流れでたものです。
2)70年ぶりの土石流が発生 |
2004年5月、白山別当谷で土石流が発生し、吊橋が流出し登山道が埋まる被害が出ました。土石流は最大時速70km以上という早さで流れ下り、流出した土砂は川底から3mの高さにまで堆積しました。
この時砂防堰堤は浸食防止機能を十分発揮し、土石流の勢いを弱め被害を最小限にとどめた考えられています。
白山砂防無人化時代へ |
平成16年5月17日、別当谷の土石流の災害復旧工事は不安定な土砂の上で行われ、また土石流がふたたび発生する危険もあるため、リモコン操作によるバックホウ(無人化)が使われています。
甚ノ助谷付近の尾根は現在も年間15cmほど下に向かってへ動いており、尾根全体が崩れると加賀平野が土砂により50cm埋もれると言われています。また、県民の上水道用水を供給している手取川ダムが土砂で埋もれば県民の生活に大きな影響を与えます。白山砂防は、無人化による作業員の安全を確保しながら、白山を保全するだけではなく、山麓や手取川下流域に暮らす人々の生命と財産を守っているのです。
ライブカメラ |
災害対策の一環として,弥陀ケ原にライブカメラと地震観測機が設置されています。遠い白山での災害情報が瞬時に伝わり、白山のふもとの安全安心に役立っています。
また、白山に行けなくてもインターネット等で白山山頂付近の様子が見られるようにもなりました。